スラムに暮らす人々に支援をさせて頂きたい。

私が初めて募金活動に携わったのは中学3年生の時です。


私が住んでいた関西エリアに直下型の阪神・淡路大震災が襲いました。

揺れる前の凄まじい地鳴りで飛び起きたのが午前5時頃だったと記憶しています。

それから間もなく凄まじい縦揺れに襲われ、廊下にでると床板がまるでそうめんの様に波打っていました。



「死んだ。。。」

と、確信しましたが、私の自宅は全壊を免れ、通常通りに登校したところ、情報が錯綜しておりました。


何が起こっているのか?



被害の大きかったエリアからは私が通っていた中学校に疎開してくる家族もいらっしゃいました。

私は生徒会長でしたので、‘‘何か出来ないか?‘‘と云う想いから生徒会のメンバーに声を掛け、その日の内に校舎玄関にて募金箱を設置して、毎朝、学生、先生問わず募金に協力して頂けるようにお願いする日々を続けました。



時は経過して、私は東京にて再度、地震と対面しました。

私は小さなコングロマリットを経営しており、事務所ビルが大きく左右に揺れ、外国人観光客がパニックに陥り、電車は全て止り、コンビニやスーパーに行っても飲料水や食品は売り切れておりました。


丁度、その日は東京大学の合格発表の2日目でした。

私の会社の軸となる事業は不動産業で、見事、東京大学に現役合格を確認した18歳の少年とお母様が駒場東大前にアクセスの良い物件を求めていらっしゃい、また、情報が錯綜する東京で神戸に帰る事が出来なくなり、偶然に予約が取れた新宿のホテルまで、社用車で送迎させて頂きました。


弊社の事務所から新宿までは通常であれば車で片道20分程ですが、大渋滞で交通が完全に麻痺しており、あちらこちらで追突事故が起きて、信号は消え、警察が旗を振ってなんとか交通整理をしておりました。


片道、3時間程かかったと記憶しております。

間もなく、彼は東京大学に入学し、私の会社でアルバイトを続けながら復興支援活動を始めました。



胸を打たれたのです。

時に、人は「○○してやったのに。」と、「にの。のに。のに。」と発する一握りの人達がいます。私はこの「のに。」がとても嫌いです。




愛を持って、愛を信じ、愛に生きていれば絶対に「のに。」は生まれません。

ただ、純粋に愛を。

]


そして、私はふと日本国内のみに目が行ってしまっている自分に気が付いたのです。

愛も、幸せも、苦しみも、悲しみも、、、、、、


『国境』などという区分はナンセンスに感じられました。

私に出来る事は無いか?


私にさせて頂ける事は無いのだろうか?


その想いから初めて海外に向けての支援として当、プロジェクトを立ち上げさせて頂きました。


何卒、皆様からのお力添えをお願い致します。

当、プロジェクトは11月22日(金曜日)よりスタートさせて頂きます。


何卒、何卒、御力添え、拡散等のご協力をお願い致します。